top of page
カフ・ダレル・ハラダ

初めての祈祷

以下の記事は、以前TrinityWebにて連載されていたものです。


――――――――


初めての祈祷(Kahuダレルハラダ)
初めての祈祷 (Kahuダレルハラダ)



初めての祈祷


ある時、私は結婚式を執り行ってほしいと頼まれました。当時の私はマッサージ師として、また、サイキックとして仕事をしており、自分の仕事はスピリチュアルなものだと思っていましたが、私はカフ(司祭)ではありませんでした。それでも、私はまた神に導かれていることを信じていましたので、結婚式をしてほしいと頼まれたとき、これは神が私にその仕事をさせたがっている兆しだろうと考えました。もっとも、兆しは明確な指示ではないので、明確なサインが現れるのを――つまり、結婚式のやり方を教えてくれる人が現れるのを待ちました。


そのころ私は、新しくできた高級な薬物依存症リハビリ施設で働き始めたところでした。妻の友人の息子さんが私を紹介してくれたことで、私にまわってきた仕事でした。私が自分からこの施設を選ぶことはなかったと思いますし、施設を開設しようとしている心理学者らは、やや信頼性に欠けるように見えました。と言っても、施設をどのように運営したらいいか、彼らにはわかっていないように感じられただけですが…。新事業に乗りだすにあたって、彼らはブレッシング(祈祷)を予定していました。少なくとも、このことに関しては、彼らは正しい判断をくだしたわけです。


祈祷の日、ハワイの司祭、すなわちカフ(Kahu)が、9歳と11歳の少年を連れてやって来ました。聞けば、息子さんだということでした。私はその直前に、ナナ・ヴェアリーが書いた『Change We Must』という本を途中まで読んでいました。ヴェアリーの祖母の話は、ネイティヴ・アメリカンのメディスンマンの魔術のような技に関する話と同じように、私の胸に響きました。子どものころ、私は天気を予想したりコントロールしたりすることができたものの、成長するにつれて、あれは自分がしたのではなく、たんなる偶然だったと考えるようになっていたのですが、ヴェアリーの本を読んで考えが変わりました。ネイティヴ・アメリカン主義に共感し、好ましく感じていた私は、『Change We Must』によって、その思いをわが家であるハワイに対しても感じることができるようになったのです。


さて、私の前には本物のハワイのメディスンマン(カフ)が立っていました。私はそれまでにもほかのカフに会ったことがありましたが、とくに彼らに惹かれたり感銘を受けたりしたことはありませんでした。ところが、このカフにはなぜか惹かれました。とくに素晴らしいバイブレーションを発しているわけでもなく、ごく普通に見えたにもかかわらず。私は普段は人にうるさくつきまとったりしませんが、気がつくとほとんど衝動的に、彼にいくつも質問をぶつけていました。そして、どうやって結婚式を執り行えばいいか教えてほしいと頼みました。


このカフとの出会いから、結婚式のやり方を教えてもらうためにもう一度このカフ会うまでのあいだに、ふたつのことが起きました。ひとつには、家の祈祷を頼まれました。もうひとつは、同業のマッサージ師で親友のデイヴから電話が入り、結婚式をしてほしいと頼まれたので、やり方を知っていたら教えてほしいと言われたのです。私は笑って、私も同じことを頼まれて、結婚式のやり方を教えてくれるカフに最近出会ったところだと説明しました。そして私はカフに連絡し、デイヴも連れていっていいかと尋ねて許可を得ました。私とデイヴはカフと昼食をともにし、結局3時間も話し込みました。このときカフは結婚式の仕方も家の祈祷のやり方も教えようとしませんでした。むしろ質疑応答と、お互いのことを深く知るためのミーティングになりました。私はミーティングを終えて家に帰る車のなかで、あのカフは僕の胸に疑問が浮かぶたびに、僕がそれを口に出す前に答えてくれたとデイヴに言いました。するとデイヴは、僕もそうだったと興奮ぎみに言いました。カフはデイヴと私に結婚式のやり方を、私に家の祈祷の仕方を教えると約束してくれました。


翌日、私がカフの家に行くと、彼は家の祈祷に必要な祭具をすべてくれて、祈祷の手順を説明し、ハワイ語のチャント(祈り唄)を教えてくれ、自分で祈祷をしなさいと言いました。

「一緒に行ってくださらないのですか?」と私が尋ねると、

「ああ。きみ一人で大丈夫だ」との答えでした。翌日、私は家の祈祷に出かけました。ホラ貝の吹き方はまだ知らなかったので吹かず、同じ理由でハワイ語のチャントもせずに、代わりに心のなかで祈りの言葉を英語で口にしました。陸に上がった魚のような気分でした。祈祷がうまくいったかどうか見当もつきませんでした。祈祷の数日後、その家の持ち主が電話をかけてきました。祈祷の際に使ったティリーフはどう処理すればいいかと尋ねたかったのだそうです。その会話の最後に彼女は、

「あのときは言わなかったけど、あなたが来る2、3日前にフィリピンのヒーラーが家を調べて、家に霊がいるから、機嫌を損ねないように食べ物と水をあげるようにと言ったの。あなたが祈祷してくれたあとにもそのヒーラーが来たんだけど、そのとき彼女は、霊はどこへ行ったの、いなくなったわ、と言ったのよ」とつけ加えました。


私の祈祷に効果があったことを一度も面識のない赤の他人が教えてくれたのです。自分には祈祷ができるという自信を、神は私に与えてくださったのです。

閲覧数:15回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page