生命の樹への帰還(パート4)

そこで、善悪を知る智恵の樹の実を食べて苦しむようになったことへと、話が戻ってきます。
どんな物足りなさを感じていたせいで、まずイブが、続いてアダムが、樹の実を食べたのでしょうか。
ふたりを人間と見るのではなく、女性性と男性性のエネルギーとして見れば、受け身の女性性のエネルギーが知識を受け取り、能動的な男性性のエネルギーがそれを使います。
聖書で語られる暴力がすべて男性によって引き起こされているのは、このためです。
ただし、私はこう尋ねずにいられません。
樹の実を食べたことが、本当の始まりだったのでしょうか。
そもそも、誘惑に駆られたのはなぜなのでしょう。
誘惑に駆られる要素がイブの中に存在していなかったとしても、ヘビはイブを誘惑することができたでしょうか。
善と悪の違いを知る前の人間の中に、誘惑に駆られるどんな素地があったのでしょう。
好奇心でしょうか。
退屈だったのでしょうか。
そもそも、どのような満たされない感覚があったせいで、誘惑に駆られたのでしょう。
すべての人間が死ぬまで感じつづけることになる、生き延びるために必要な食べ物や水や住処に対する不満が原因だったのでしょうか。
象徴的な意味であれ文字通りの意味であれ、イブが、どんなにわずかだったとしても、幾ばくかの苦しみを感じており、誘惑に駆られる可能性があったことに注目すべきでしょう。
イブが誘惑されたとなれば、エデンは楽園だったのか、あるいは、楽園とは人間にとって満足できない場所なのかと、疑問を呈さずにいられません。
輪廻転生を信じている宗教でさえ、魂は肉体を持つこの世にいる時のほうが速く成長すると言うことがあります。
ほとんどの人間は苦しみますし、苦しみを防いだり止めたりしようと努力します。
自覚しているかどうかは別にして、人間の活動のほとんどは、生存にフォーカスしています。
私達は、原始的だった祖先よりも遙かに闘争・逃走反応に駆られて生きています。
私の思い違いかもしれませんが、マクドナルドの前で羽を広げてすっかりリラックスしている鳥を見た後で、私の周囲の、眠ることすらできない人々見回した時、動物は私達のようにつねにストレスにさらされているわけではないと感じずにいられません。
これは、私達の脳の中の、脅威を認識するシステムが、現代の脅威を簡単に見分けることができず、また、その対処法も知らないためだろうと思います。卑劣な同僚や、頭のおかしい上司や、不注意なドライバーや、株価の暴落は、クマやトラのようなわかりやすい脅威ではありませんし、槍で突いても解決できません。
この種の脅威に慣れていないために、私達は警戒レベルをつねに高く保っています。
なぜなら、脅威を感じていながらも、その脅威を特定することもできなければ、それに対する効果的な戦略や解決策も持ち合わせていないからです。このために自信が持てず、不安を覚え、それが自己評価の低さと誤って関連づけられることがよくあります。