生命の樹への帰還(5-3):思いやり


(前回の続き)

思いやりのある自己発見における最初のステップをサポートする方法:

1.日記をつける 学校の宿題のような日記ではなく、親友やペット、神様と会話をするようなジャーナルのことです。

それには正解も不正解なく、どんな言葉や写真や、雑誌や新聞の切り抜き、描画など、正直にあなたを表現するものであれば何を使っても構いません。

そこには、人生について内省や熟考するなかで、沸き起こった宇宙への質問も書いてください。

第三者には読まれたくないあなたの心からのアイデアを書いてください。

自分のためだけに書くのです。

2.マインドフルネス マインドフルネスは瞑想であり、またあり方でもあります。

瞑想をしていれば、それは瞑想ですし、習性や癖になればあり方となります。

お昼ご飯を食べながら、今関わっているプロジェクトについてや子供が学校から帰ってきたらどうするかを考えているのであれば、あなたはお昼ご飯を意識していません。

あなたは、大切なランチタイムとあなたのために犠牲となってくれた食べ物の味を無視していることになります。

あなたの心がどこかにさまよい出ないようになるまで、今を生きられるよう練習をしてください。

どんな時も常に今を生きられるようになれば、あなたは、瞑想から、目覚めた、または悟りに達したことになります。

だからといってもう練習をしなくていいわけではありません。

あなたの心が、現在から離れたことにに気づくようになるということです。

そしてまた自然に戻れるようになるまで練習しましょう。

3.遊ぶ

ほとんどの大人は、 はしゃぐということを忘れてしまっています。 適切で責任感のある大人とは、はしゃいではいけないと教えられてきたからです。 しかし人間は笑い、楽しむことを渇望し、それはやがてもっと傲慢な楽しみ方に発展します。 ギャンブル、飲酒、知的討論、オタク討論、他人を馬鹿にして楽しむコメディといった方法で、単なる遊びを大人バージョンのものと置き換えます。 スポーツとは本来、競争を目的としない身体行動、または生存するために戦うスキルを安全に身に着けるための行為です。 スポーツは遊びではありません。 もちろん、遊びにもなりえますが、結果的に対抗意識があったり、楽しむというよりもっとシリアスになりがちです。 遊びは楽しいものです。 想像力に富んでいて、リラックスした方法で私たちの心を開き可能性を切り開きます。 もし遊びの精神を忘れてしまったのだったら、小さい子供や動物が遊んでいるのも観察してみましょう。 思い出させてくれるでしょう。

(つづく)

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