生命の樹への帰還(パート3)


多くの宗教において、最も高いレベルの教えは、善悪や二元性は存在せず、バランスを求めるエネルギーの絶え間ない満ち引きがあるだけだと説いています。

この最も高いレベルを宗教が教えようとしないのは、次の3つの理由によるものに違いないと、私は確信しています。

第1に、かつて宗教指導者達は、信者よりも格段に高い教育を受けた人々だったため、最も単純な教えを授け、それがたいていの場合は道徳だったこと。

第2に、やはり信者は学のない人々だったので、宗教指導者達は、自分達が持つパワーに気づき、そのパワーを濫用したこと。

第3に、極めて上級のスピリチュアルな実践をすると、ある種のパワーが目覚め、間違った人々がそのパワーを手にすると、自分自身や他人を傷つける恐れがあったことです。

最も精神性の高い教師達が、愛と慈悲の心を教えたのはこのためです。パワーは濫用を招いてスピリチュアルな成長を阻害することがよくあることに、彼らは気づきました。

人はあまりにも簡単にワンネス(訳註:すべてがひとつであること)や普遍的愛から逸れて、偽りのパワフルな感覚に惑わされ、思い上がるのです。

釈迦は非二元論の真実に目覚めました。

釈迦も老子と同じように、「あれがあれのようだから、これはこれのようだ」と言い、因果や縁起を語りました。

あらゆるものが関係性の中で相互依存しており、それが苦しみと解釈されることがよくあります。

浜辺に打ち寄せる波や、木々の葉を優しく揺らす風は、普通は苦しみとは見なされませんが、衝突しているという意味では、程度こそ違え、津波や竜巻と同じです。

好き嫌いや善と悪の違いと同じことです。

仏教における最もシンプルで効果的な解決法のひとつは、充足の実践です。

(つづく)

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