平和の中に在りながら、恐怖心をコントロールする方法 Part 2


(前回のづつき)

反応的な恐怖は、よくある、無意味でごく自然で本能的な生存反応と同じように起こります。 例えば、ヘッドライトを照らされた鹿が動けずに立ち止まったり、砂の中に頭を突っ込んだダチョウが動かなくなったり、または車が近寄ってきた途端にハリネズミが丸まってしまうようなことです。 自然な「知能」を利用するには、このような自然な「反応」を優先するのではなく、やる気と優れた方法論が必要です。

最初のステップは、「恐怖を直視する」ことです。

恐怖は、防御機構です。 認識された脅威への反応です。 しかし人間は、何かが危険であるという知覚を「学ぶ」生き物です。 恐怖に対処するには、危険の知覚を超えるという学びが必要です。 これを学び直すのは、心地の良いものではありません。 大人になってからまた大学に通うことにした人が、 「若い時に勉強しておけばよかった」と言っているのを聞いたことがあると思りませんか。 「新しいこと」には多くの抵抗が伴うため、多くの人が行き詰まりを感じます。 その不快さが、まるで、その人らしさ(自分らしさ)を変えさせようとしているように感じます。 実際それは正しいですが、不快さが感じさせるような悪い方向に変わっているわけではありません。 屋内非難は、野生の動物を飼い慣らすのと似た、行動の変化です。 行動を変えるには、やさしい方法と残酷な方法がありますが、いずれにしても簡単なことではありません。

私たちは今、未知の恐怖という、最悪の種類の恐怖を対処しようとしています。

実際のところ、これは私のクライアントが鑑定を希望する際の背景にある最も多い理由です。

この場合、鑑定の結果を聞いただけでは、あまり効果的でないどころか、満足感すら得られない場合もあるでしょう。

例えば、

「今、何が私たちを殺そうとしているのか?」という質問に対して、

答えは、

「新型コロナウィルス」ですが、それを知ったところで解決方法は見出せません。

検査やワクチンなど複数の解決方法が必要です。

仏教には、未知の恐怖に対処するのにとても良い実践方法がいくつかあります。

仏教は、人生に内存する予測不可能性を受け入れています。

確かに私は、正しい予知を可能としてきました。

しかし、クライアント自身が戦略的に、また積極的にならない限り、行動の変化を起こさせるという点では効果はなかったと言えます。

予知を最大限に活用するには、その予知に対して本人が積極的であると同時に、戦略的にアプローチしていく必要があります。

聖書に、

「人々は、都市の破壊を見るために引き返してはいけない、さもなくば流されるだろう」という件があります。

「流されるだろう」は、予知を意味します。

「後ろを振り返るな(引き返すな)」は、戦略です。

それにも関わらず、一人は振り返ってしまい、塩の塊になってしまいました。

人間は、どうしても我慢できない時があるからです。

(つづく)

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