(前回のつづき)
まず第一歩として、恐れているものを明確にすることです。
これは簡単なことではありません。特に馴染みのない未知のものであれば、不可能に感じるかもしれません。
ここで役立つのがマインドフルネス。反応性を抑制し、冷静な思考と落ち着きをもたらしてくれます。
「マインドフルネス」という言葉にある「マインド」とは、知性だけのことではなく、心も含まれます。
新型コロナウイルスに関する知識が増えるほど、私たちはそれにうまく対応し、安全に生活できるようになっていきます。
また、歴史をたどることによって、未知の状況に対応することができます。
まず、私たち人類は、知識と強い意志により問題を解決してきました。
そしてご自身の歴史を振り返ってみましょう。
これまで何度も新しい環境に足を踏み入れ、乗り越えるだけでなく、成功を収めた経験のことを。
学生時代の新年度、新学期、新しいクラスや試験、就職や新しい友人関係などに関する成功体験を思い返してください。
もちろん全てがうまくいったとは限りません。
しかし今、ここでこれを読んでいるということは、それら試練を乗り越えたということではありませんか。
これを認識することで自分に自信が持てるようになるのです。
もちろん、もっとこうすればよかった、と思うこともあるでしょう。
しかしそう思えるのも、失敗を乗り越え、一つ賢くなったからなのです。
今の自分は過去の自分より進化し成長している。たくさんの不慣れな状況や出来事を乗り越えてきたということに自信を持ちましょう。
恐怖心は必ず抵抗感を生み出します。
現実への抵抗感は否認です。
否認は人間の精神の一部です。あのイエス・キリストでさえ十字架の上で嘆き悲しみました。
キリストでさえ絶望したのだから、私たちがそのような感情を持つことはおかしなことではないのです。
さらに私たちは、キリストがその後復活し、自身の運命を受け入れ、身を委ねられたということから学ぶことができるのです。
抵抗感とは恐怖を表現する手段、そして「戦うか逃げるか固まるか反応」の一種です。抵抗感が否認や抑圧という形で表現された時、人は理不尽で自滅的な行動に出ることがあります。
しかし、全ての抵抗感が悪であるわけではなく、時には役に立つこともあります。
それは諦めないという希望や強い意志として現れる場合です。
私たちは今、健康でいることや効果的な検査やワクチンの開発に必要な行動をとることに尽力しています。
つまり、自分の知性を味方につけるか敵に回すかはあなた次第ということです。あなたの最大の武器は選択できるということです。
自分の知性、そして意志をコントロールするのはあなたです。これを意図と呼びます。意図は時に奇跡を起こします。
落ちついた広い心さえあれば、否定することなく焦点を移すことが可能です。
映画「ベスト・キッド3」にはこのようなシーンがあります。
ダニエルとミヤギが開店したばかりの盆栽店が荒らされ、ダニエルは怒りを露わにする中、ミヤギは陽気な歌を口ずさみます。
一緒に歌うようダニエルを誘いますが、いつものようにダニエルは怒りをコントロールすることができず焦点を移します。
さらに売り物の盆栽全てが盗まれているのを発見すると、ダニエルは警察へ駆け込み、ミヤギは釣りへ出かけて行きます。
翌朝、ダニエルはミヤギが大切にしている盆栽を掘り起こし、それを売って店の修理と在庫の確保の資金にあてようとします。
その盆栽は、崖の下に埋めてあり、ダニエルと友人は崖を下り、盆栽を掘り起こします。
崖を上りきる手前で悪役が登場し、試合で戦う約束をしなければ彼らを崖から落とすと言い、ダニエルは契約書にサインしますが、悪役によって盆栽は破壊されてしまいます。
ダニエルはミヤギの元へ急いで戻り、盆栽を修復してもらいます。
そこでミヤギが店の修理と在庫の確保のために自分のトラックを売却したことを告げられます。
ミヤギが、陽気な歌を口ずさんでいたのも、釣りに出かけたのもすべて頭を整理して解決策を考えるためだったのです。
一方、ダニエルは怒りの渦にどんどんはまっていってしまい、その結果悪い決断しかできなくなってしまったのです。
ミヤギは焦点を移すことで解決策をよりクリアに見つけることができました。
時には長い散歩が一番の解決策になることもあります。
リビングルームや庭をぐるぐる回ったり、廊下を行ったり来たりするだけでも効果的です。
『ヴォイセズ・オブ・インサイト (Voices of Insight)』という本に、カマラ・マスターズは食器洗いや歩行によって初めて悟りを開いと書かれています。
廊下をたった10歩歩いただけですが、気持ちを込めて行動したのです。
時には自分ではどうしようもない問題も発生します。
そのような状況で恐怖心や不安に押しつぶされない方法はあるのでしょうか。
神に身を委ねる、という方法が私自身が普段使っているベストな方法です。
それに関する正しい方法はありません。
ただし、一つ言えることは、その瞬間はできる限り正直に、誠実にオープンでいることです。いい人でいようとしないこと。
それは不誠実でいることになります。
神に対して怒りの感情があるのなら、それを表現してもいい。
イエス・キリストの言葉を正しく理解しているのであれば、キリストの大いなる愛によって私の痛みは吸収され、癒され、そして和らげられるでしょう。
身を委ねることの素晴らしさは、完璧である必要もなければ、完璧であることを求められていないということです。
欠点を隠すことなく行いましょう。
全てを受け入れてくれる方法はこれしかありません。
自己判断や自己嫌悪を持つ者に神の愛が届くことはありません。
(つづく)