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生命の樹への帰還(4-3)


一番古いの記憶のいくつかは、いささか恥ずかしいものと思っていたことがあります。

私は、目に映る物や人の全てを美しいと感じていました。

成人男性として、女性に対してそう思うことは気になりませんでしたが、男性を見ても同じように思うことに抵抗のようなものを感じてました。

誰もが神聖な光を放っているからです。

私には、どんな欠点も目に映らないのです。

私たちが思ういわゆる欠点は、私にとっては苦痛と感じられました。

当時まだとても若かった私は、それがどんな感覚なのかを説明する言葉が見つかりませんでした。

でもその感覚は覚えています。

私は、すべての人や物に対して喜びの愛を感じていたのです。

これは、私だけではないと思います。

人は、人間になる前、そして正否、善悪、脅威であるか否かといった善悪の知識を定義する社会教育が始まる前までは、誰しもがこの感覚を持っていると思います。

リラックスして、出来る限り遠い昔を思い返してみてください。

あなたの両親が完璧であった頃、そして人生が魅惑的であった頃のことを。

私が感じていた私の家族の中の苦痛は、のちに私を苛立たせ、怖がらせました。

しかしそれは、そういう教育を受けていたからであり、私が生まれ持つ本来のやさしさではありません。

現代心理学では、インナーチャイルド(Inner Child)という早期教育のより良い方法について話されています。

より親切(Kinder)なものです。

教育とは、同一化ではありません。

お釈迦様が、四諦や八正道をを通して私達にお見せくださったように、私たちは、新しいアイデアや生き方を学び、さらに苦しみを学びます。

ハワイ人の教えのように、私たちは、光の器から石を取り出しましょう。

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